「親から愛情を感じたことはあるでしょうか?」「夫や奥さんから愛情を感じたことはあるでしょうか?」「自分に愛情を持っているでしょうか?」「愛情とは何でしょうか?」
これらは常に目に見えず、しかしもっとも私たちに影響を及ぼしている「なにか」です。
私は、幼少期に愛情のない家庭に育ち、愛情を求め、自分を罪悪感や無力感から来る「自己否定」という牢獄に自分を閉じ込めました。
その瞬間に自分が自分でなくなりました。
自分を生きない人生を41年間過ごしてきました。
呪縛から逃れる戦いを41年間…。人生の半分、牢獄に入っていたんです。
この状態は、よく「アダルトチルドレン」という言葉でも表現されますね。
私は、多くの人間がこの牢獄に囚われたままだと思っています。
「過去の自分」や「過去の私と同じような状態に陥っている全ての人」にこの文章を書きたいと思います。
愛情の勘違い
まず、勘違いしてほしくないのは、「殴るから愛情がない」「殴らないから愛情がある」「やさしいから愛がある」「厳しいから愛がない」という問題ではないことです。
外側の出来事とは愛情は一切関係がありません。
片親だからグレた、育児放棄(ネグレクト)されたから、過干渉だったから、甘やかされたから、褒められなかったから、厳しくされたから…全部関係がないです。
社会や心理学者はこれらをカテゴライズして、外面的な出来事をわかりやすく論理的に語りますが違います。
よく育児書や心理学本では「褒めましょう」「こうしましょう」と、書いてありますがやめたほうがいいです。逆に親も子も歪みます。
愛情とは何か?
ここが1番の問題点です。
愛情を、外面的なことや世間的なこと知識などで考え、行動しているところに問題があります。
相手の要求をかなえてあげることが愛情、いい人でいることが愛情など、人によって植え付けられた思い込みは違います。
また、多くの人は、その思い込み(知識や観念、幼少期の親の影響)が無意識化され、自動化されているので、自分勝手な愛情を相手にぶつけていることになります。
わかりやすい例で言うと、「いい学校に入っていい、会社にはいりなさい。あなたのことを思って言っている」など。こんな台詞は完全に親のためです。
親は言葉だけではなく、無意識的にもプレッシャーをかけてきますが…。
では、愛情とはなんでしょうか?
対自分に対しての愛情は、
対他人に対しての愛情は、
と、定義します。
もっとわかりやすくいうと、素っ裸の自分で何も隠さず生きることができること。
愛情はかなり抽象度が高い言葉なので、説明が本当に難しいのですがあえて言うとこうなります。本当は多角的な表現をする必要があります。また、本来は言語化できないものなのですが、あえて言うとこうなります。
また、これは「言うは易し、行うは難し」で、これを達成するには、相当な年月と自己観察を要します。
愛情深い人はいるのか?
私は圧倒的に少ないと思っています。
特に現代は自己喪失に陥り、感情が麻痺し、損得で考える嘘つきが多く、頭でっかちで、心や感情で生きている人間が少ない。
喜怒哀楽を優劣や善悪(頭)で、取捨選択している。
気持ちよりも、頭が優先してしまっている時点で、愛情深くはなれない。
まったく素の自分を晒すことができない。素の自分を知らない。この両方が末期症状まで人間に巣食ってしまっている。
偽りの愛情
愛情のなさは、歴史や文化とも関係しています。
自分の親の親が愛情不足だった場合、その子供も愛情不足になる可能性が高い、そして、その子供も。これは、川の流れのように、連鎖していきます。
また、社会的に洗脳もされています。「人にやさしくしましょう」「仲良くしましょう」そんなバカみたいなスローガンを子供に言います。
相手を思いやっているように聞こえますが、実はこの言葉は自分のために言っています。言っている本人は、自分のために言っているとは気づいていない所が怖いところなのですが…。
これらは大人たちが子供を管理しやすいように言っているだけで、全部が欺瞞で嘘っぱちです。
こんな言葉に愛情などありません。
喜怒哀楽をお互いに表現しあって、ぶつかり合って初めて仲良くなれるんであって、最初から仲良くしましょうなんて、できるはずがありません。
そこには他者理解がありません。
他者理解のない仲の良い関係は、妄想関係でしかありえません。そんなものは、なんのつながりも生み出しません。だから現代は、孤独感が余計に強く感じてしまうのです。みんなが正解の自分を、いい人の自分を演じあい、馴れ合っているだけで関係が深まらない。
本来、愛情ややさしさは言葉で語って、頭で理解するようなものではありません。
ここで、愛情不足で育った大人の性格や特徴を観てみたいと思います。
愛情不足で育った大人の性格や特徴
愛情不足で育った大人の性格の本質は、「罪悪感」や「自己否定感」を強く持っていることです。
罪悪感や自己否定感が存在の核にあり、そこから多くの性格や特徴が派生していきます。
自己喪失に陥る過程
→自分の存在が恥ずかしいから、嘘をつく
→嘘をつき続ける・自分を欺き続ける・演技し続ける。
→いずれ自分がどんな人間だったかを忘れる
→自己喪失
→自分が何を感じているのかわからなくなる
→自己麻痺
→機械人間
孤独好きへの過程
自分の存在が受け入れられない
→自分の思ったことを人前で表現できない
→他人がいると自分を抑え込んでしまわなければならないと思い込む
→他人といる自分が疲れてくる
→孤独が楽
これらのプロセスは人によって様々です。
自分の人生を振り返ってパターンを探る必要があるでしょう。
「罪悪感」や「自己否定」はあらゆる場所に派生していきます。それほどまでに自分を破壊する力を持っています。
「罪悪感」や「自己否定感」はなぜ生まれたのか?
1.親が「罪悪感」や「自己否定感」を持っている
親が罪悪感や自己否定感を持っているので、自分のありのままの姿を受け入れることができず、自分のありのままの姿も見ることができず、また、自分を信頼することもできません。
これは、無意識に必ず子供に投影されます。
投影とは、自分の中にあるものを、他人の中に見るということです。
するとどうなるか、
子供のありのままを受け入れることもできず、子供のありのままの姿を観ることもできず、信頼することもできません。
信頼できないから、過干渉になったり、世間的ないい子や成功のイメージに近づくようにコントロール(支配)しようとします。
これは相当恐ろしいことです。
子どもが何をやろうと、親は子どもに自分の自己否定感を投影するので、常に子どもを否定的に見ます。なにをやっても子供は受け入れられない。
子供にとってこれはシンドい。
子供は完璧じゃない自分は受け入れられないと思い、大人になって完璧主義になったりもします。また、そもそも人間は完璧になどなれないので優秀さや自分の凄さを演じて、アピールする嫌われるような人間になりかねません。
親はいいことをやっていると思っていて、実際にやっていることは子供の否定。それも無意識にやっている。
親は子供にとっては、絶対的な神であり、生きるか死ぬかを握っている存在です。
親はそんな認識もなく、ただ子供を産んで、自分がされたように育て、かわいそうな子どもが大人になり、また子供を育てる。
負の連鎖は、誰かが断ち切らない限り続きます。
次に、社会的な要因を見てみたいと思います。
2.社会の教育的なもの
学校でも結局、押しつけとコントロールが大手を振っている。
運動会でも、みんなが同じ行動を取るように押し付けられる。
正しい答えを教えられ、正しい答えを言うようにコントロールされる。
子供の時点で、すでに感情や情緒が消えてしまって、演技することだけを覚えてしまっている。
生き延びるため、受け入れられるため、成功するために、大人や社会に受け入れられることだけを考え、自分を抑え込んでしまっている。
自分で自分を否定した、悲しい姿ばかり。
すでに教育自体が、自己否定になってしまっている。
常に、「こうでなければいけない」「こうなりなさい」と教え込んでくる。
つまりは、
「いまのあなたではダメだ」=自己否定を植え付ける
「こうなりなさい」「これが正しいのです」=成功のイメージを植え付け、コントロールする
反抗できる、不良のほうがまだ救いがある。
従順なこどもは、すんなりこれを受け入れ、そのまま生きていく。
親と学校や社会にこれだけ「罪悪感」と「自己否定感」「偽りの目標」を植え付けられたらたら、自分を生きることはそれらとの戦いになる。
親や社会に与えられるメッセージは?
「いまのあなたではダメだ。変わりなさい」
「成功しなければいけない。競争で上にいかなければならない」
そこに愛情はあるのかい?
「あなたは、悪くはない」「あなたは、あなたで素晴らしい」とは誰も言ってくれない。
みんな誰かの批判ばかり。
これをまともな世の中と言えるのでしょうか?シンドくないですか?
まともだと思い込む人々
問題は、こういう親や教育者が、自分はまともだと思い込んでいること。
まともに見れば、こういう親や教育はかなり狂っている。ところが狂っている奴らが権力を持ち、数を持っているので、まともだと思い込める。
自分をまともだと思っているから、変わりようがない。
まとめ
長くなったので一度ここで締めますね。
この問題はかなり深い問題のため、文章にしても本当に伝わっているか心配はありますが、何かの役に立ってくれたらなと思い書きました。
一気に思っていることを書いたので、関連性など、読みづらい部分などもあったと思います。
解決策なども次の記事で書きたいと思います。
長文ありがとうございました!
コメント
過去記事に失礼します。
今の気持ちを代弁するような内容で、とてもスッキリしました。
愛を勘違いしているのに、愛を語る人が多く、悲しい世の中ですね。
私も本当の愛を知るまでに33年かかりました。
どうか、皆が愛というものに向き合い気づける事を、願います。
そうしたら、世の中の歯車が少し戻るかなぁなんて。
ありがとうございました。
愛情の定義、考えたこともなかったですがストンと違和感なく入ってきました。
私は愛情不足で育った自覚があるため、子供には同じ思いをさせたくない、でも共働きの限られた時間の中でどうすればいいかを調べてこちらにいきつきました。
この定義をベースに、家族仲良く円満に暮らして行くライフプランを考えたいと思います。
素敵な記事を発信いただきありがとうございました。
ただただ、お礼がいいたくコメントさせてもらいました。