事件が起きた時のよくあるコメント
時々、事件が起きてあの人は「普段はいい人だったのに」と言いますが、それはこういうことです。
ある時には、「いい人」を演じるという、仮面を被った人格が出ますが、違う環境条件がそろうと途端に人格が変わります。
抑圧的・無意識的に生きている人間には自由意志がなく、瞬間に人格が変わるので、ある条件下である刺激が入ったら、感情が吹き出し、そういう行動を取らざる負えなくなってしまうのです。本人にはどうしようもないのです。
抑圧された感情の力は本当に凄いです。
では、そういった人間の恋愛観はどういうものなのでしょうか?
愛情不足で育った大人の恋愛観
男性と女性で本質的な違いはありません。
本質にあるのは、「愛されたい!」「認められたい!」という子供の感情です。
そこには飢餓感があります。
食べ物が食べられない飢餓感をイメージしてもらうとわかりやすいと思います。
3~8歳の子どもが、僕を、私を、「愛して!認めて!」と僕や私にフォーカスしているので、かなり自己中心的な要求を相手にすることになります。つまり、恋愛対象の相手は見ていないのです。
見ているのは、「自分が愛されたい!」「満たされたい!」なので、自分が満たされることだけを見ています。
なので、相手が自分の欲求を満たしてくれないとわかった瞬間、簡単に相手を切ります。
相手からしたら、え、なんでそんなことで?と思えるようなことで。
人を愛することができない
この状態の人間は、人を愛することはできません。
他人に愛を求めることしかできません。自分の愛への飢餓感でいっぱいっぱいで何かを愛する余裕がないのです。こういう人間は、ずっと何かを求め続けています。
理想世界を求め続けています。自分のすべてが受け入れられる理想世界がどこかにあるはずだと。この探求はつらいです。いつも失望に終わる羽目になるので。
本質的に他者と関係を築くことができない
この状態の人間に、恋愛を含め、他者と関係を築くことが本質的にできないのです。
他人を見ることもなく、他人を思いやることもなく、ただ、自分の欲求だけを見て、相手を自分の欲求のために利用するのですから、必然的に関係は成り立たなくなります。
相手を求めるが、常に失望に終わるのです。
本人は自分がやっていることの酷さは見えません。客観性がないので。
こういう人間が立ち直るには相当な年月がかかります。
では、愛情不足で育った大人の【接し方】はどうなってしまうのでしょうか。