自己責任とは何か?自己責任論の意味や問題点をわかりやすく!

自己責任とは

「自己責任論はなんだか、さみしい感じがするなあ」と根本的なところで思っている人は多いと思います。

自己責任論を声高に言う人のイメージは、「常にイライラしていて攻撃的で、自分はすごい!というプライドを持っている人」です。

そもそもとして、自己責任は自分が自分に言うことであって、「他人に自己責任だろ!」ということは、相手の否定であり相手を責めること

実は、本当に自己責任のある人は、「自己の責任のみを問う」ので、他人の自己責任を問うことはありません。

ここでは、

  • 自己責任と自己責任論の違いと意味
  • なぜ、自己責任論がここまで言われるのか
  • 自己責任論の問題点と貧困などの二極化

について、わかりやすくまとめてみました。

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自己責任と自己責任論の意味とは

自己責任とは

自己責任とは、自分が取った行動の責任は自分にあるということです

わかりやすく言うと、「自分の過ちは、自分で尻拭いする」ということですね。

自己責任論とは

自己責任論は、自分が取った行動には自己責任がある、だから「自分がやったことの責任は本人が取るべき!」という社会的思想であり、考え方や空気のこと

自己責任と自己責任論の違い

自己責任は、あくまで自分が自分の責任として行い、その結果を自分が受け止めるという「自分が自分に取る責任」のことを言います。

自己責任論とは、他人の間違い、他人からの迷惑があった場合、「それは自己責任だろ!」という「過ちをした本人 VS 社会的空気・第三者の批判」という構図となります。

  • 自己責任:自分が自分にする約束や責任
  • 自己責任論:他人や社会が作る思想の空気で一人ひとりの個人への圧力

と言えそうです。

自己責任論の限界

ここで本質的なところを考えてみましょう。

自分がやったことの因果関係がわからない

自己責任を問うためには、「自分のやったこと」と「やったことの結果」の因果関係が見えている必用があります。

これを仏教では

縁起=原因と結果

といいます。

よく考えてもらうとわかるのですが、この原因と結果のすべてを見ることは、神でなければ不可能だということがわかります

そもそも自分がやったことを認識していない

多くの人は、自分がやったことを客観的に認識できません。

自分が普段何をしているのか、その結果どうなったのかを、意識的に観察できている人はほとんどいないと思います。

自分がやったことを認識できない人に、そもそも自己責任を問うことができないという現実があります

自己責任の限界例

例えば、自己責任論で良く言われる「イラクで捕まった日本人ジャーナリスト」がいます。

その自己責任(縁起=原因と結果)が問えるか検証してみます。

【問1:なぜ、日本人ジャーナリストはイラクに行ったのか?】

彼が行きたくなった気持ちの「原因と結果」を明確に把握ができるでしょうか?

これは本人にすら難しいです。

私達は普段何か行動する時に、なんとなくやることが多いです。

では、「なぜそれを行う気になったのか?」と言われても後付けで理屈を考えているだけで、実際の所はどこまでいってもわかりません。

【問2:なぜ、日本人ジャーナリストは捕まったのか?】

ジャーナリストのコーディネーターが犯罪者とグルだったという可能性

たまたま、見つかって捕まってしまった可能性

多くのジャーナリストがイラクに行っていたのに、なぜ彼が捕まったのか?

これも多くの偶然が重なった結果、捕まったとしか言いようがありません。

ここまでくると、もう偶然や運としか言えないレベルになります。

見えない因果関係をここでは偶然や運と定義しておきます

ここまで見てきたように、

僕らの世界はわからないことだらけの世界なのに、因果関係がわかっているという「自己責任論」を持ち込むことがそもそも不可能なのです。

私はすべてをわかっているという傲慢さが、自己責任論を増長させる1つの原因だと思います

なぜ、自己責任論がここまで言われるのか

なぜの理由

自己責任論がここまで言われる理由はいくつか考えられます。

  1. 企業の自己防衛のため
  2. 他者性や想像力のなさ
  3. 現代人の苛立ちと余裕のなさ
  4. 損得勘定の価値観の蔓延

などが、考えられます。

理由1:企業の自己防衛のため

最近は企業が訴えられないように、事前防衛をいたるところに張っています。

よくある文言は、

危険なため、自己責任で行って下さい

というセリフです。

普通に考えてそんなことしないでしょ!というような、ありとあらゆる危険な行為を取扱説明書に乗せて、禁止しています。

そして、最後には自己責任で!

こういう文言に多くの現代人が親しんでいるというのも要因の1つとして有り得そうです

理由2:他者性や想像力のなさ

自分の狭い価値観で出来事や他人を見て、現実が一切見えていない人は多いです。

自分の価値観の視野が30度の狭さだとするなら、残りの330度は見えていはずなのです。

それにもかかわらず、自分のその価値観(30度の視野)を絶対化してしまうのです。

つまり、

何も相手のことをわかっていないのに、知ったふうに自己責任論という自己意見の押しつけ行うのです

この傾向は、普段の会話によく見られます。

【会話例】

人の話を聞かずに、自分の意見を押し付ける・アドバイスをしてしまう。

「なぜ、そう思うのか?」

「なぜ、そのようなことになったのか?」

を、想像したり、相手の立場を理解しようとせず、自分の意見をすぐに言っちゃう。

基本的にこういう人は、

  • 自分の狭いものの見方だけで、相手や世界を判断している。
  • 他人を理解しようというそもそもの気持ちがない。

というのが特徴です。

理由3:現代人の苛立ちと余裕のなさ

現代人を見ると、常にイライラしていたり、疲れていたり、忙しくて余裕がなく自分のことしか考えられなくなっている人が多いように思えます

つまり、「自分の迷惑になる人間は面倒くさい」わけです。

その「面倒くささ×自己責任論」が合体すると、

「自己責任だろ!私に迷惑をかけるんじゃない!」

と、簡単になります。

また、イライラのはけ口を探しているので、余計に弱者やできない人間に、「あなたのその今の結果は自己責任で、お前のせいだ!」強烈に攻撃し、見下す人もいます。

優しくない日本社会の構造が見えますね。

なんでも自己責任で、失敗を許さない、殺伐とした管理社会のできあがりです

理由4:損得勘定で判断する

自分の気持や良心で判断するのではなく、頭の損得で判断する傾向が強いです

損得で判断したら、

できない人間は自己責任、うちの会社にはいらない

医療や介護費を使う老人もいらない、自己責任でなんとかしろ

生活保護はなくせ、自己責任で生活を立て直せ

自分勝手に行動して、間違いをおかした人間は自己責任であり、尻拭いはしない

と簡単になります。

どこまでも自己責任を他人に言い、責めます。

心(良心)で生きるのではなく、頭の損得で生きると、平気でこういう世界になります。

自己責任論の問題点と貧困などの二極化

貧困層

自己責任論は基本的には、強者の論理です

人間のそもそもの違い

この世界には生まれながらに一人ひとり境遇に違いがあります。

  • 生まれつき能力がある人
  • 生まれつき能力がない人
  • 生まれつき障害を持っている人
  • 生まれつきメンタルが強い人
  • 生まれつきメンタルが弱い人
  • 生まれつき裕福な家庭に生まれる人
  • 生まれつき貧乏な家庭に生まれる人
  • 生まれつき病気を持っている人
  • 生まれつき犯罪を侵さざる負えない家庭環境にいる人

など、数え上げたらキリがないほどに、一人ひとり生まれた境遇が異なります。そして、幼少期の家庭環境や親で、人間の思考や心の基盤ができます。

よくあるのは、「俺は貧乏なところから、這い上がって成功を収めた!お前もなれる!」と語る成功者です。

這い上がれた人間は、お母さんが立派だったり、周りの人に良い人間がいる場合が多かったりします。

その人には、そういう人や環境があったから這い上がれた。

他の人は、そうではない原因や環境がある場合も多いです。

「自分のすべての偶然や因果関係をすべて見た上で、俺は成り上がった!」というならわかりますが、もともと這い上がる運命や使命を持った人間だった可能性は高いです

自己責任論を他人に言うのは不可能

これらのあらゆる前提条件・環境や違い無視して、「自己責任だろ!」というのは、もはや暴力です

この自己責任論を推し進めれば、

貧困問題は貧困問題のままなくならず

手段は問わない弱肉強食の世界で這い上がった一部の人間が得をする

能力のある人間が、能力のない人間を搾取する

という、人間社会ではなく、動物社会になるのは明白です。

人間としてのプライド

昔は、力を持つものは弱い人を助ける責任があるという考えがありました

それは人間としてのプライドです。

今は、力を持つものは弱者から絞るだけ絞っていいという考えに変わっています。

完全に、弱い者いじめの世界です

多国籍企業や大企業を見るとこの仕組みが良くわかりますね。

まとめ

自己責任はあくまで自分が自分に言うことであって、他人に言うとこではありません

自己責任を取るためには、自分がやったことを自分が認識している必要がありますが、多くの人間は自分がやったことを認識する能力がありません。

自分が普段から何をやっていて、その結果どういう事になっているのか、内省する人間は稀です。

つまり、自己責任論を言う人は、

自分で自分がやっていることを知らず、他人がやっていることは見えやすいために、「自己責任だろ!」と自己責任論というイライラした感情や主観的意見をぶつけているだけです

そして、自己責任論を相手に言う人間は、自分のイライラした感情を自分で処理せず、誰かにぶつけることで発散しているので、自己責任能力が本人にはありません。

  • 生まれ持った能力を持つ人は、搾取するのではなく、誰かを助ける
  • 弱い人は、助けてもらったら感謝する
  • 自分ができることで貢献する

という、当たり前のことを当たり前にするだけで、もっと世界は楽しくなりそうな気がしますね

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