小さい頃から私たちは、他人を意識して生きるように躾けられます。
相手の立場に立ちなさい。相手の気持ちを考えなさい。と言われた経験がある方も多いのではないでしょうか。
そういう風に言われるけど、どうやったら他人の立場に立てるの?どうやったら他人の気持ちを考えられるの?と疑問になりますよね。
そして、その方法を教えてほしかったりします。
ここでは「私達がなぜ相手の立場に立てないのか?」「相手の気持ちが考えられないのか?」「相手の立場に立てないことを解決する方法はあるのか?」について、考えてみたいと思います。
相手の立場に立てない理由は?
この理由は様々だと思いますが、大きく分けると次の3つになるような気がしています。
- 相手が嫌い
- 相手に興味がない
- 自分のことしか考えられない
また、これらの理由は相互に関連しあっています。
こういう人を一言で言うと、
自己中心的な人になるのでしょうか。
人はなぜ自己中になるのか?
これも深掘りしていくと様々な理由が見つかると思います。
- 親の愛情不足からくる、人間存在への不信感
- 人間関係(親子関係)で辛い思いをして人間全般が怖い
- 人間が信頼できず怖いから、自分を守らなければならない
- 自分を守るためには、他人と戦って勝つしかない
など、様々な原因とパターンがあります。
一人ひとり違うでしょう。
では、自己中の本質は、どこにあるのでしょうか?
根本にあるのは、この世界全般への不信感だと思います。
- 他人、世界は信頼できない
- 他人、世界は自分をいじめる
- 他人、世界は自分を否定する
などの、ネガティブな信念を幼少期に持ってしまっている。
そんな怖い世界で自分で自分を守るためには、自分のことを第一優先に考えなければいけない。
自己中心的な人は、生きる動機が恐怖になっています。
ここで、わかりやすい例を見てみたいと思います。
深いキズ負わされたされた犬
一度人間に深いキズを負わされた犬は、すべての人間を敵だと認識し、人間を信頼せず、人間が近寄ると吠えまくったり、人を噛んだりします。
犬をいじめるつもりがない人間に対してもそうなのです。餌を与えてくれる人間にも敵意を向けます。そして、孤独になります。
こういう犬は、「いじめる人間」と「善意ある人間」と「無関心な人間」を分けてみることができないのです。
自己中の人間は、このような犬と同じ傾向を持っています。
幼少期の経験を、すべての現実に当てはめてしまうのです。わかりやすくいうと、現実を正しく認識できず、ずっと過去の悪夢を見ているようなものです。
だから、他人が見えないし。他人に恨みを持っているし。他人の立場にすら立つことができないのです。
ある意味、自己中の人間は過去の傷つきを乗り越えられない人間と定義しても良いかもしれません。
自己中の人間は相手の立場に立ちようがない
つまり、自己中の人間は先程の犬のような反応を根本的にしてしまうので、人間関係は常に困難なものとなります。
どんな人間も常に敵として認識してしまうので、自分の意見を押し付けようとしたり、相手を批判したり、相手に勝とうとしてみたり、自分の凄さをアピールしてみたり、あらゆることで自分を守ろうとします。
そうしないと、怖くて他人といられないのです。
このような状態なので、他人の立場に立つという視点をそもそも持ちえません。
なぜなら、他人とは敵で、戦うべき相手だからです。自己中の人間にとって、他人とは共に良い関係を築く相手ではないのです。
自己中の人は嫌われますが、本当は傷つき、愛情や承認を誰よりも欲しているにもかかわらず、その相手を攻撃せずにはいられない矛盾に苦しむ人間なのです。
相手の立場に立つにはどうしたら良いのか?
自分の世界認識が根本的におかしいことに気づくことです。
そして、自分が敵意のフィルターを通して世界を見ていることを知ることです。
ポイントは、
- 自分がその世界認識を持つに至った過去の記憶を思い出すこと
- いま現在の相手は過去その記憶を植え付けた相手とは、違うと認識すること
- 世界を信頼していない人でも安心できる人は必ずいるのでそういう人のそばにいること
などです。
これはすぐに解決する問題ではありません。
自分がこれほどまでに、世界や他人を信じておらず、嫌っていたということに気づくことは実は難しいです。
また、気づきにも浅い段階から深い段階までレベルがあるので、少しずつ変わってくほかありません。
まとめ
今回は相手の立場に立てない可能性の一つとして私が考えていることを書いてみました。
これが唯一の答えというわけではありません。
目の前に答えがあったとしても、自分が心のなかに見つけていない答えに人は反応ができません。また、薄々感じていて気づきたくない答えを見た時には、怒りを感じたりする場合もあります。
最終的に、答えは自分で見つける他ありません。
これを読んだことがなにかのきっかけになれば、幸いです。