愛情不足が当たり前となったこの現代日本。
愛情不足の子供は至る所に見られ、大人も表面上大人に見えるだけで、心の中は同じ愛情不足の子供。
愛情不足で子共のままの大人が、愛情不足の子共を育てる。
負の連鎖は続きます。
ここでは、愛情不足の子どもの特徴や行動や将来大人になったらどうなるのか?についてまとめてみました。
子供のほうが愛情深い
まず、履き違えてはいけないことがあります。
子供のほうが、親や大人よりもはるかに愛情深いことです。
- あなたは、子供に助けられていないでしょうか?
- 自分が子供を助けるより、子供にエネルギーを貰っていないでしょうか?
- 生きる目的が、子供になってはいないでしょうか?
大人はお金を持ち、子供をこの社会で生存させることに関しては得意ですが、愛情を注ぐことに関しては、子供に負けている場合が多いです。
この認識はとても大切になります。
なぜ、子供は愛情不足になってしまうのか?
子供の心の特徴
子供は心がむき出しで、自分を守ろうとはしません。
ダイレクトに世界とぶつかります。
そのため、大人の一挙手一投足に、ストレートに喜び、傷つきます。
一方、大人の場合、心が鈍くなり、自分を守るので、外界の出来事で傷つきにくくなっています。
大人が「この程度で?」と思うことも、子共にとっては生きるか死ぬかという場合もあります。
大人の心の鈍感さ
大人の心は鈍っているため傷つけていることにすら、気づきません。無自覚なので、子供を悪気なく傷つけ続けます。
無自覚なので、傷つけることをやめることができません。
そういう親の場合、子供は親をとことん愛しているのに、親からは常に拒否や否定や無関心を向けられます。しかし、親は自分では子供を愛していると思いこんでいます。
子供の心は張り裂けんばかりです。
「なんでわかってくれないの!」「なんで愛してくれないの!」「なんでこんな寂しい思いをさせるの!」子供はこんな思いを抱えているにも関わらず、親に言えない場合があります。そうすると、さらに心は歪んでいきます。
親は子供が本当に望むものに気づけない
子どもが本当に与えてほしいものを親はわからず、わかったつもりになり、違うものを与えます。これが繰り返され続ければ、愛情不足という現象は当たり前におきます。
そして、無意識に習慣的に、機械的に繰り返され続けるので、子どもが反抗するまで親は気づかず、ずっと続きます。
反抗できる子供ならいいのですが、反抗できない子供もたくさんいます。反抗できない子供のほうがより心が歪んでしまいます。
これは親が気づいてあげなくてはいけないところです。
親の対応で最悪なのは「無関心」
ちなみに、親の対応で最悪なのは、無関心です。
拒否や否定は、相手を多少は見ています。関心が多少はあります。
ところが、無関心は全く、子供をみていません。話も聞きません。子供を理解しません。子供からすると存在否定。いないほうがいいんだ。という感覚を子供にもたらします。
これは子供にとっては「存在の罪悪感」「存在の自己否定」をもたらし、これを一生抱えて生きる場合もあります。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、これは本当にそうです。そして、この存在の否定から、様々な病が発症します。
ただ、こういう親の場合、子供だけではなく、自分自身にも無関心なのです。だから、気づきようがない。
愛情不足の子供の特徴や行動は?
「自己否定性」や「自己罪悪感」が本質にはあります。ここは共通点です。
しかし、行動面の表現の仕方は様々です。
「生まれ持った子供の特質」と「親の特質」、そのた「時代の環境要因」など様々が組み合わさってできあがります。
一概に言えません。
また、こういう子供は多重人格性を持ってきます。
ある場所では認められたい!愛されたい!と自己アピールが激しく出て、逆に、ある場所では否定されるのが怖い!相手に受け入れられたい!と自己抑圧や良い子の演技が強く出たりもします。
嘘つきの子供になったり、自己中心的な子供になったり、変化が激しくなります。
嘘をつくことは子供にとってはストレス
しかし、嘘をつくことは子どもにとっては実はかなりのストレスです。本当は嘘なんてつきたくないし、演技もしたくない。嘘なく自由に自分を生きたいんです。
でも、否定性を罪悪感を持った子供は自由になど生きれないのです。表現しても無視されてきた、否定されてきた。
だからこそ、生存するために、相手の顔色を伺って、相手の望む行動をとるようになるのです。また逆に、顔色を伺わなくていい場合は、暴れまわったり。
情緒が不安定になります。
生きれば生きるほど、愛されるために、子供は偽りの仮面をその都度使い分けるようになります。それが行き着くと自己喪失で、自分がまったくわからなくなり、人生を諦めます。
子供の行動動機が恐怖になる
こういう子供の本質的動機は恐怖です。恐怖が動機となっている限り、生きることが楽しくなんてありません。
親は恐怖で子供をコントロールしますよね。「こうしないと、将来ダメになる!」「これが正しいんだ!」と押し付けたりします。平気な顔押して。
刑務所の刑務官のように。裁判官のように。
また、無意識の行動で子供をコントロールもしています。これは正直な親ではないと気づけない巧妙さです。鈍感な親はこの無意識の行動で子供をコントロールしようとしているという意図にすら気づけません。
親や大人、社会は表面だけを見てしまう
親や大人、社会は表面で判断しやすいです。
嘘をつくから悪い、周りのことなど考えず自己中心的な子共だから悪い子、などと、表面上だけ見て対処します。
なぜ、子供がその行動を取らざる負えないのか?その子供の本当の心の叫びを聞こうとはしません。ここはかなり重要なポイントだと思っています。
ただ、そもそもこういう状態にしてしまう親に、子供の本当の叫びは聞けない現実があることも事実です。
だからこそ、本当を言えば、子供は親に期待せず、自分でなんとかするしか方法はないと人生のどこかで気づき、自分を頼りに生きていかなければなりません。
次に、愛情不足で育った子供が大人になるとどうなるのかをみてみたいと思います。
愛情不足の子供は、常に飢餓感を持っています。
愛を、承認を、興味関心を持ってもらうことに飢えています。
愛情不足で育った子供が大人になると?
自分が何も与えられていない、虐げられてきたという、強い被害者意識と被害妄想に囚われてます。また、対人恐怖と人間不信もあり人間関係を避けます。
最初の親との関係ですべてのコミュニケーションの基礎を学びます。
さらに、感情が麻痺しており、自分自身が全くわかりません。
幼少期から感情の抑圧グセのため、心の中にはどす黒い怒りがマグマのように溜まっていてます。感情は抑圧すれば抑圧するほど、溜まっていきます。
ここまで来た人間の生きる動機は、「復讐心」となります。
一番強いのは、親への復讐心。
本人は気づいていない場合も多いです。自分はそんな人間ではないと頭では思い込んでおり、むしろまともな人間だと思っていたりします。
子供の行動は?
現実の行動としては、
- 引きこもりになったり、
- 事件を起こしたりする場合もあれば、
- 表面上は立派なビジネスマンで誰からもあの人は凄いと言われている人もいます
現実の姿は真逆ですが、心の中身は一緒です。
どちらも心の中には恐怖と復讐心が巣食っています。
親への復讐心
これは子供や大人にとっては気づいてはいけない気持ちです。
親を憎んではいけない!と、最初は気づかないように、その感情を自分で抑圧しています。しかし、抑圧しても復讐心は存在するので、それは親ではない他者に投影されます。
投影されやすいのは、自分より弱いもの。
自分より弱い相手に対して、怒りが表現されます。
それを、いじめと読んだりします。
親ならば、子供をいじめたり。
子供は、動物をいじめたり。
そして、この復讐心に気づかず、一生復讐のために生きる人もいるかもしれません。
子供時代の記憶がない
大人になって子供時代の記憶がない場合もあります。
私はもろにこれでした。
子供時代があまりにも苦しすぎて、傷つかないようにあらゆる感情を自分でシャットダウンし、あらゆる感情を抑圧します。そして、自分ひとりの妄想の世界に逃げ込みます。
そうすると、生きているようで、生きていない状態になります。現実感がなくなります。
傷つきもしないけれど、喜びもない。
この状態になると他者性も一切なくなります。そして、他人にも世界にも興味がなくなります。
感情がないということは、記憶もされないということなので、必然的に子供時代、小学校時代、中学校時代、高校時代の記憶が残りません。
これは状態としてはかなり苦しい状態です。
私の場合は、この状態になっても、親はなんの介入もしませんでした。
大人になったいま、客観的に親をみると、無理だろうなと現実がわかりますが…。
次に、幼少期の親子関係の大切さを見てみます。
大人になり、自分の心を紐解くほど、幼少期の影響を受けていることに気付かされます。
うんざりするほどです。
しかし、この幼少期をそれほど大切に考えている人が多いように見受けられません。
幼少期の親子関係は本当に大切
子供時代の親子関係は本当に大事です。
これをないがしろにしていると、親が子供に復讐される場合があります。生まれつき子供が大人より遥かに、成熟している場合は大丈夫です。
しかし、そうでない場合は、「自分がこうなったのは親のせいだ!」となる子供もいます。特に、愛情不足で育った子供は被害者意識、被害妄想が強いのでそうなりやすいです。
しかし、親は鈍感で傷つけたことにそもそも気づいてないので、子供がそれを言ったところでと親とは平行線になります。
子供が自立するしかない
子供は親を選べません。
いくら話してもわからない親も多いです。
そういう親のもとに生まれたことも子供は、その運命をハッキリと見て、受け入れるしか、方法がありません。
他人を羨んでもしょうがないのです。
受け入れて、被害者意識をやめ、自分の人生は自分で切り開く以外にない!とハッキリ気づかなければなりません。
ここに気づくまでに、多くの年月を私の場合は過ごしました。
自分が被害者意識に陥っているということに、頭では気づきますが、本当に腹の底で気づくのにはかなりの年月を要するような気がしています。
まとめ
親子関係は、本当に複雑で、理由が見えず、戸惑うことも多いと思います。
その時の、ポイントはとにかく誤魔化さないこと。綺麗事にしないこと。わかったふりをしないこと。嘘をつかないこと。
こうした方がいいという答えは、自分の中にしかありません。
その瞬間、その瞬間、ちゃんと親子が誤魔化しなく向き合えているかどうかがポイントになります。
そこで試されるのは親の生き様です。
自分が誤魔化して生きてきたなら、向き合えません。綺麗事で逃げるでしょう。忙しいからと向き合わないでしょう。結局親も自分が大事なのです。
親が向き合えないと、子供も向き合えません。
親の在り方が本当に大切になってきます。